曹洞宗 慈雲山 松田院 龍源寺

 龍源寺は、正式には慈雲山松田院龍源寺と称する。上信越自動車道吉井インターチェンジの南1qの集落、高崎市吉井町多胡字蟹沢にある。

 『上野国郡村誌』に、「神保村仁叟寺末寺派、僧壽溯和尚開基、創建年号不詳」とあり、『多胡郡寺院明細帳』には、「正保元申年(1644)3月、僧壽溯創建、明治20(1893)6年1月23日焼失」、と記されている。

 寺伝によると、はじめ当村字元屋敷の下城山に華應存永が創建したが、5代目智眼慶察のときに、山崩れで堂宇・墓地ともに埋没した。仁叟寺9世日洲壽溯を請いて開山し、曹洞宗寺院となった。正保3年(1646)3月、当地の地頭の門奈六左衛門が両親菩提供養のため、土地1反20歩を寄進し、堂宇が建てられた。
 門奈氏は、甲府勤番をつとめる旗本であり、多胡地域60石余りを治めていたが、多胡に在住したという記録はない。多胡の神保金光家に、甲府へ年貢を届けたという文書が残されている。門奈氏の子孫は、現在神奈川県横須賀市に在住で、時々当寺へ来られる。

 明治26年(1893)1月23日、火災で本堂、庫裏などが悉く灰燼に帰した。しかし翌27年、檀信徒の浄財で再建した。
 そのとき、埼玉県賀美村陽雲寺(当時の住職は武田正樹、埼玉県児玉郡上里町金久保)の末寺で、廃寺となっていた陽福院(尼寺)に安置されていた釈迦三尊像を得て、本尊とした。

 参道には六地蔵菩薩像・二十二夜尊像・太平洋戦争戦没者供養碑と並んで、義民白田六右衛門の顕彰碑がある。高さ165cm・幅62cmの同碑は、昭和63年(1988)春彼岸会に建立された。
 元禄初期、干魃で苦しむ農民を救うため、年貢米の穀倉を開放した名主六右衛門は、違法行為の罪で元禄2年(1689)5月4日、斬首された。弱冠24歳であった。戒名は、「一刀利切禅定門」、のち「寂室相空居士」と改められた。

 墓は白田智志家墓所にある。六右衛門が胡瓜畑で斬首されて以来、白田一族は胡瓜をつくらない習わしとなっている。ほか、六右衛門の遺徳を偲び、先祖祭りと称して、各家もち回りで施主となり、供養を続けていた。また、短い命を終えた場所に藁葺の祠を建て、命日には草餅や赤飯を供え、霊を弔ってきた。昭和27年(1952)に、祠は多胡石製の石宮に改修された。
 桑畑の中にあったこの石宮は、顕彰碑完成とともに、その隣に移転した。位牌は、白田博家の仏壇の中に安置されており、白木の板位牌に記してある。「寂室相空居士 元禄2年巳5月初4日 一庭妙槃大姉 貞享5年辰(1688)4月初4日」。なお、一庭妙槃大姉は六右衛門の母と伝えられている。

 また、境内の山中腹に小堂があり、「養蚕倍盛」を祈る大権現である蚕影山が祀られていた。龍源寺の象徴ともいえる蚕影山は、毎年3月23日が大祭の日であった。春彼岸会中のお祭りは、全国的にも珍しい。明治時代になり、隣町である富岡市に官営富岡製糸場が建てられ、とくにこの地域では養蚕が盛んになった。全国的に有名な多胡早生という桑の品種は、当地で開発されたものである。蚕影山の大祭は大変賑やかで、露天商なども出て盛会であったという。現在、小堂は老朽化のため取り壊され、跡地には「蚕影山跡地」の石碑が建っている。
 本尊蚕影山大権現は、平成15年(2003)4月29日、本堂内の復旧した宮殿内に安置された。小堂が山中にあったため、明治時代の火災に遭うこともなかったのである。当寺の歴史を伝える貴重な仏像である。

 同17年(2005)に行われた佛教造形研究所(本間紀男代表)の調査では、中世の面影を残した仏像であることが判明した。現在は、養蚕農家の減少ゆえ蚕影山の大祭の存続が危ぶまれたが、同15年の移転を機に、大施食会のある4月29日に日にちを移して、あわせて執り行われている。

 本堂庇には、総高64cm・口径43・3cm(1尺4寸3分)・重量推定62kgの殿鐘がある。8世祐峯智貫代の、延享3年(1746)に鋳造された古鐘である。鋳い物も師じは、江戸神田の江戸幕府御用達であった西村和泉守藤原政時である。地蔵菩薩が陽鋳されており、尊像の仕上がりもよく、明治の大火、太平洋戦争の供出をも免れて当寺に残っている。
 ほか、境内には総高90cmの青銅製魚籃観音が造立されている。同観音像は、海がない県内において魚介供養ができうる場所が欲しい、との声を受け、29世渡辺啓司(現仁叟寺31世)が建立した。
 新潟市の水産会社である加島屋の寄進で、台座にある「魚籃観世音菩薩」の揮毫は、故稲葉修衆議院議員である。
 もともと龍源寺は、「修行寺」・「出世寺」といわれ、仁叟寺へ普山する住職が、その修行を行う寺院であった。実際、開山はもちろんのこと、2世・3世・6世・7世・8世・24世・25世・28世・29世の住職は、仁叟寺へと晋山している。なお、現在の住職は30世渡辺龍道であり、仁叟寺の副住職を兼ねている。



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